幸福について

 いま幸せかと問われて、素直に首を振る人間がどれだけいるのでしょう。少なくとも僕は、答えに窮してしまいます。衣食住に困っているわけでもなく、何か病気になっているわけでもないというのに、果たして何が足りないというのか。恋人でしょうか?(笑) それもあるのかもしれませんが、そういう問題ではないと思います。
 ところで、明日の生活が保障されている生物が一体、この地球上にどれだけいるのでしょうか。生態系にそんなに詳しいわけではないですからいい加減なことは言えませんが、おそらくは人間と、人間に飼われているペットくらいのもんでしょう。
 かつての人類は(そして今も多くの生物は)、毎日死と隣り合わせの生活を営んでいました。病気、紛争や殺し合い、動物に襲われるなど。今のような過食の時代でもなかった。色々な恐怖を感じることも多かったでしょう。身近な人を失うことも多かった。そういう日々を過ごしていた彼らは、毎日のほんの些細なことにありがたみを感じ、幸福を見出していたのではないかと思うのです。色々な恐怖を乗り越え、その日の夜に家族と食卓を囲めただけで幸せだったんじゃないかなぁ。あくまで想像の域を過ぎないんですが。
 現在は人類が食物連鎖の頂点に立っていて、食べるものも、寝る場所も、身の安全も、ほとんど保障されていて(されていない方もいます。彼らからしたら、僕のような者は贅沢な人間にしか見えないでしょう)、死が頭をよぎるような恐怖に襲われることもほとんどないです。そういうことが当たり前すぎて、もう慣れてしまっているんですよね。だから、それだけ恵まれた状況に置かれながら、幸福かと聞かれてもすぐにウンと言えないんだと思います。
 今の生活の中で死の恐怖を感じることはやや難しいですが、少し食事を抜いてみたり(一日三食は食べすぎだと僕は思っています)、世の中の貧困に目を向けたりすると、今の自分の環境のありがたさがわかるようになるのかもしれません。今もなお、考えられないような苦しい生活を送っている人々が世の中にはたくさんいるのに、彼らの姿からは目を背けてしまいがちですから。

 

あまりまとまっていませんが、あえてこのままにします。